8月になると絶対忘れぬこと・・
父の命日。
その日は弟の誕生日。
私たち姉弟はとりあえず誕生日には
「おめでとう」とLineで伝えあう。
弟曰く、絶対最後のいやがらせだと・・・周り親族からは忘れてほしくなかったんだよ、と。
父は49歳で脳出血によりたおれた。
半身不随になり、その後何度か脳梗塞をおこした。
誤嚥性肺炎を起こすようになり、68歳で胃ろうの手術をした。
手術後は近くの施設に面倒を見てもらっていた。
父の容態が悪くなったのは、69歳の夏の日だった。
母と私の子供(小学校は夏休み)は三重の親戚の家に泊まりに行っていた。
私は仕事で前の日まで夜11時、12時帰宅が続いていた。
その日は夜9時くらいで仕事が終わったので自宅でひとりのんびりしようと思った。そこへ呼び出しの電話を受け、夜に施設に向かった。
我が家はいろいろあって、市役所の福祉課の方がきてくれていた。
父は「〇〇はどうした?」と孫(私の子)を聞く。
「三重にお母さんと行ってるんだよ。いちおう明日にはかえってくる予定だからね。」
「うん、わかった。」
市役所の方が「今は落ち着いたようだから、いったん家に帰っていいよ。」
というので看護師さんたちに何かあればすぐきますといって自宅に戻った。
なぜか眠れなくなっていた。嫌な予感がして部屋を片付けた。
うっすらと明るくなってからだったろうか、電話がなりただちに施設へ向かう。
弟のところにも電話をしたがつながらず・・・施設につく。
「〇〇はどうした?」再び孫のことを聞く。
「お昼には帰ってくるからね。」
「うん、わかった。」
息が荒く、目が一点を見始めた。開けている目をじっとみつめた。
医師が
「ご臨終です」
という声を聞きながらも、最後まで見開いている目をのぞき込んでいた。
最後の記憶に私の顔があるのか?とただ思ってみた。
弟の電話がつながらなかったのは少し前の日に雷が落ちて電話が壊れていたそうだ。
父と弟は高校を卒業してから、ほとんど会わなかった。いや全然といってもいいほど。
気が付くと 弟の誕生日 = 父の命日 となった。
「最後の最後にこんなことしていく・・・」と弟。
今年は遅れたが
母と私で塔婆をたてに行く。